もくじ
【不登校児は毎日が日曜日? ……そんなわけがない!】
◆ 自宅でフリースクールをしていたころ、
子どもたちに「メンバーシップカード」なるものを手渡し、常時持っていてもらいました。
パッと見「名刺」のようなこのカード。
オモテには、子どもの名前と住所が書いてあり、
ウラには、私のメッセージがかいてあります。
『彼(彼女)○○▼▼くん(さん)は、現在、在籍中の◆◆中学に通う代わりに○○フリースクールに通っています。学校、ご家族の賛同のもと、私あられ美幸のフリースクールにて学びを楽しんでいますので、ぜひ、応援してください★
よろしければ、彼(彼女)と共にこちらにいらっしゃいませんか?
子どもたちの元気な笑顔とあたたかいお茶をご用意し歓迎いたします♪』
フリースクールの住所と電話番号、私の名前を添えてのこのメッセージ。
実際に子どもたちが誰かに見せる必要があったかどうかは子どもたちからは聞いてはいません。
ただ、このカードを手渡す時、子どもたちは誰一人として「こんなのいらないよ」とは言いませんでした。
中には緘黙のお子さんもいましたので、持っているだけでも安心、と思ってくれていたことでしょう。
なぜ? 何が安心か?
なぜなら……
小、中学と思しき子どもがランドセルも制服も身に着けず自転車や電車にのって出歩いていれば、余計なお世話おばさん……いや、おせっかいおじさん……いえいえ、「親切なおじさんおばさん」や「パトロール中の民生委員さん」などのオトナがお声をかけてくださいますよね?
「あらあら、ちょっとそこの坊や?(お嬢さん)? 学校はどうしたの?」
「ひとり? お母さんはどこ?」
てな具合に……。
「平日の日中に学童がひとりで街中を歩いているのはおかしい……普通ではない」
そんな文化がある日本では、(実際に声をかけることがないにしても)こうしたオトナたちの目が、あたりまえのように子どもたちを取り巻いています。
加えてやっかいなことに
オトナたちはそうした声かけに「慈善」を抱いているこそすれ、自らの行動に疑問を感じることはありません。
「平日の日中は学童はすべて学校にいるはず(べき)」という不文律のもと、オトナたちは、それに反する日常を選択している子どもたちに「あわれみ」を抱きながら「困った子」「問題児」として差別化しているということに気がついてはいません。
「どうして学校に行かないの?」……。
「学校に行かないで、いったい何しているの?」
「このまま学校に行かないで、どうやってオトナになっていくつもりなの?」
こうした問いに答えるすべのない不登校児たちは、日々、周囲からのこうした圧力に耐えています。
◆ さぁ、そんな彼らが、「フリースクールに行こう!」ってんで外に出かけるわけです。
親の送り迎えじゃないんですよ?
多くの子どもたち、自転車や電車で通ってきます。
そりゃもう、勇気100倍、1000倍を要するというもの。
「してはいけないことをしているうしろめたさ」を抱きながらも、勇敢にフリースクールにやってくる勇者たちーーーその姿は、感動に値するほどです。
そんな彼らに、少しでも「キミには今、安心安全な居場所があるんだよ」を示したく、私は「メンバーシップカード」なるものを渡したのでした。
■ 不登校時の日常
不登校児は毎日が日曜日?ーーー
そんなことはありません。
登校時間。
彼らにとっては一番つらい時間です。
布団の中で息をひそめ「その時間」が過ぎるのを待ちます。
学校を休んでいいのは、病気という大義名分のもと、親と学校の承認の上でお布団の中でぬくぬくしている子どものみ。
(そういえば、過去に、体温計を指でこすって熱を上げて仮病を使っていた、とある子どもから告白されましたっけ:苦笑)
日中、熱はなし、どこも痛くもかゆくもない、なのに学校に行かずに家では元気、ましてや外を出歩いているヤツは「不良」というレッテル貼られた困ったちゃんと思われるーー。
そう思っている不登校児の多くは、日中の電話が鳴っても出ることはせず、宅急便のピンポーンに応えることもせず、外から見える部屋はカーテンをしっかりと閉めて日中を過ごします。
「学校を休んでいる身で、外をウロチョロ歩いたらあかんやろ……」と思っていますから、心はピンと張りつめたまま、外界の空気にさらされぬよう「家」という安全地帯に閉じこもり、(中には、家では休まらず自室に閉じこもるお子さんもいますが)心休まることなく学校にいけない自分と向き合っています。
多くの親御さんは、
「昼間はフツウに元気なんですよ。でも、朝と夜だけおなかが痛いだの頭が痛いだのといってぐずります」
「家では、雑談はフツウにしゃべるんですけど……学校の話をすると急に不機嫌になったり、部屋に閉じこもってしまうんです」
「不登校の期間が長くなればなるほど、学校に行かないのがあたりまえになってしまって不安です」
とおっしゃいます。
いやいや。
子どもたち、ちゃんと考えてますよ。フツウに?(笑)
いっぱいいっぱい、あれやこれや考えています。
考えてはいても、具体的に「どう行動したらいいのか」がわからないのです
「あぁ。外界から見た自分は問題児……」
「親にも恥ずかしい思いをさせている」
「もうしわけない……」
そんなことを日々感じながら、彼らだって、なんとかこの暗闇を抜け出したいと思っています。
■ なんてすてきな夏休み♪……でもでも……。
私のフリースクールでは、「夏休みはフリースクールもお休み」にしていました。
理由は2つ。
1. 子どもたちにとってフリースクールは「在籍している学校の代替であり出席扱いとなっているため」
2. 夏休みだから★
どの子も学校へ行かなくていい「夏休み」という大義名分!
日中に堂々と出歩いてもOK!のこの一か月余り。
この時期、不登校児にとってはまさに「羽をのばすことができるおいしい自由時間」です。
お父さんお母さんもしかり♪
フツウの家族同様、フツウの親でいられるこの時期は、何気に安堵を覚える時期でありますね。
(みなさん、フツウがお好きですから……苦笑)
◆ さぁ。そんな時期だからこそ……お父さん、お母さんは考えます。
「この夏休みを機に、元気になったら学校に行くかしら?」
「ほら、こんなに元気に楽しく笑ってる。この調子なら、夏休みの宿題さえ手伝ってあげれば2学期から学校に行くかも……?」
ご両親の期待は膨らみます。
一方、実は期間限定で「不登校児でなくなった不登校児」も同じようなことを考えています。
「これまでのことは何もなかったことにして、2学期から学校に行こう!」
「思い切ってやり直そう!」
「できるかな……でもコワいな……」
「よし! 心を入れ替えよう!」
けなげに「願望が化けてできがった決意のぐるぐる」を胸に、夏休みというごちそうを食んで過ごします。
で、してしまうんです……このタイミングで。
お父さんとお母さんが、子どもに「2学期から学校に行ってみる?」と聞き、
子どもは、お父さんとお母さんに、「う、うん……」とうなずく、
という「約束」をですね……しちゃうんです。
(両親の)期待、(子ども自身の)願望と(学校へ行かなきゃという)圧力からの逃避癖、
これらが入り混じった末の苦し紛れの「約束」。
親子ともども、のちに自分の首を絞めることになろうとは、この時点ではまだお気づきになっておりません。
◆ そして……。
お父さんのお盆休みが過ぎたあたりからですかね……ぼちぼち……空気が重たくなっていきますのは……。
お父さん、お母さんの気持ちは、もう……ザワザザワ……
(2学期から学校に行くかしら……)
(この際、宿題なんてどうでもいいわ。担任に頼んで復学を優先してもらえばいい)
(お父さん!? なんか、あの子、口数が減ってきた気がしない? どうしよう……)
子どもだって、平気じゃないんですよ。
(あぁ。夏休みが終わってしまう……あと○日……)
(行けるかな……行きたくないな……あぁ、やっぱむりだよ)
カレンダーを恨めしくにらみながら2学期が始まるXデーまでをカウントダウン
……5・4・3……
【不登校児にしてはいけない「タブー」とは……?】
さぁ。
この「夏休み終了=2学期はじまりまでのカウントダウン」が始まったころ、
いよいよ多くのご両親がしでかす「ミステイク」が起こります。
そのミステイクとは、このたった一言です……。
「約束したでしょ!?」
この一言により、つかの間の休息であった「夏休み」は幕を閉じ、
不登校児にとっての「自分を責め、親に恐縮し、外界に背を向ける日々」が再び彼らを包みます。
【子どもが親のあなたに求めているもの】
私たち親は「子どものため」を思う時、つい「子どもの将来」を見据えてしまう癖があります。
・「将来のために」こうあってほしい、
・「将来△▽になるために」ああもあってほしい、
・「将来」こう育ってほしい、
ーーーー だってそうすれば安心だから。
困ったことに、時に、「あなたのため」と言いながら、実は親の望みだったりもします。
しかし、子どもは違います。
子どもたちは、「今」を生きています。
・「今」学校がつらい。
・「今」苦しい。
・「今」さびしい。
・「今」助けてほしい。
・「今の自分」を見てほしい。
・「今の自分」を認めてほしい。
先日、「不登校解決は、学校復帰がゴールではない」というお話をしました。
(はじめての方、忘れちゃった方はこちら↓をご参照ください)
★ 2学期が始まって1週間が経過した今、
今一度、親であるあなたがお子さんにできること、すべきこと、してはいけないことを確認してみてはいかがでしょう。